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「左様なことを、儂が知る訳があるまい」

「左様なことを、儂が知る訳があるまい」

 

「それは分かっておりますが

 

「大方、稲葉山城の誰ぞやが故意に漏らしたのであろうよ」

 

「誰かが故意に。いったい何の為にでございます?」

 

「それくらい、言わずとも賢明なそちならばすぐに察しが付くであろう?

 

巷の噂が事実ならば、龍興は儂が思うていたよりも、ずっと暗愚(あんぐ)な主君らしいからな」

 

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「何しろ評判の悪き斎藤飛騨守(さいとうひだのかみ)とやらを重用し、才ある古参の重臣たちを粗略に扱っておると聞く。

 

無能な主君の頭を冷やさせる為に、謀の一件を密かに漏洩した者がおったとしても、おかしくはあるまい」

「龍興殿より離反したいと考える者にとっては、情報を流すことによって、殿に恩を売ったことになりますものね」

 

「ま、そういうことじゃ」

 

濃姫は得心したように頷くと

 

「で、それはいったい誰なのでございます?」

 

おとぎ話の先をねだる子供のような目をして、信長に訊ねた。

 

信長の満面に思わず苦笑が浮かんだ。

 

じゃから、儂が知る訳がなかろう

 

 

 

 

 

 

 

 

───件の龍興が起居する稲葉山城の広間から、突如 絹を裂くような女の悲鳴が聞こえて来たのは、

 

間者であり刺客であったお妙を、信長が生かしたまま美濃へ送り返した、その日の夜のことであった。

 

灯明のあかりが点々と灯る薄暗い広間の中で、城主・龍興は上段で胡座をかきながら、総床板の下段に鋭い眼光を向けていた。

 

下段の中央には、龍興が贔屓とする家臣・斎藤飛騨守が立ち竦み、太刀を片手に、じっと真下を凝視している。

 

その視線の先には、這いつくばるような形で床板の上に伏すお妙がいたが、既に骸(むくろ)となっており、

 

その身体からは、机の上にこぼしたインクのように、赤黒い血を静かに床の上に広げていた。

 

龍興はお妙の亡骸を忌々しそうに見つめると

 

「賤しき女め。役目を果たせなんだどころか、我が前(ぜん)を汚らわしき血で汚しおって……。飛騨よ」

 

「はい、殿」

 

「その汚ならしきものを即刻片付けよ。目障りでならぬ」

 

冷やかに飛騨守に告げた。

 

飛騨守は一礼を垂れると、側にいる部下の者たちに「おい!」と命じて、早々にお妙の骸を広間の外へと運ばせてゆく。

 

それを上段から龍興。下段の最前に控え直した飛騨守。

 

そして広間の端に控えていた三人の重臣たちが、細い目で見送っていた。

 

世に『 美濃三人衆 』と称される、稲葉良通、氏家直元、そして「村木砦の戦い」の折に信長の援軍を率いていた、安藤守就の三人である。

彼らは、お妙の骸が運び出されるや否や、目を微かに見合せると、何やら無念そうに嘆息を漏らした。

 

まるで一つの希望を失ったような風情である。

 

やがてお妙の骸が残していった血だまりが、側の家臣たちによって綺麗に拭き取られると

 

……己が差し向けが刺客を、まさか己の手で殺めることになろうとは。飛騨、これほどに屈辱的な話が他にあろうか?」

 

「殿

 

「織田信長、さすがは儂の目の届く場所に新たな居城を築いただけのことはある。何ともしたたかな男よッ」

 

龍興は横に置かれた脇息に寄りかかりながら、下段の飛騨守に向かって吐き捨てるように言った。

 

すると飛騨守は、徐(おもむろ)に床上に手をついて