それは──
異様の気配だった。
常ならざるものの調べであると感じた。
意識芽生えてから現在へ至るまでの間に
およそ一度も感じたことのないものだった。
半ば無意識に警戒する。
けれど、すぐに。
それが無用のものであると認識される。
初めて感じる気配ではあっても
決して忌むべきではない相手、だから。
友と呼べる間柄ではなくて、
そう、教え授ける者と教え請う者の間柄。
導くもの。教師。
微笑みを絶やさないひと。
ここを訪れることは
滅多になかったはずの相手──
[Nightingale] ──まあ、珍しいお客さま。
[Nightingale] こんな夜更け──
いえ、明け方ですね。
どういったご用の向きなのでしょうか。
[Nightingale] レディ・キザイア・メースン。
本物の魔女。
美しいひとが姿を見せる。
その手には、いつもの“書”があって。
変わらぬ微笑みを湛えて、
蠱惑的な微笑みを添えて、
流麗の魔女は人工庭園のただ中に佇んでいた。
そのさまに、咲く花の気配に
どことなく近しいものを感じてしまう。
人間ではないものの気配。
無言でそこに在り続けるもののそれ。
そんなはずはないのに、
そう、思わせてしまう何かがある。
この美しいひとには。
[Keziah] ええ、ごきげんよう。
偽物の、私たちとは違う魔女のあなた。
[Keziah] 驚かせてしまった?
そうだとしたらごめんなさい。
[Nightingale] いいえ、あなたが神出鬼没なのは
今に始まったことではありませんから。
[Nightingale] そういうところは、
ご子息とそっくりでいらっしゃる。
[Keziah] まあ、そうね。
私の悪いところばかり似て。
[Keziah] 4年前の時はありがとう。
おかげで、あの子は外で悪さばかり。
[Nightingale] いいえ、あのひとは
そう悪いひとではありません。
いささか、傾いてしまっているけれど。
[Keziah] 否定はしないわ。
育て方、間違えてしまったから。
それこそ、
否定はできない言葉。
ジャン・ダスプリを名乗ったあの学生、
いいえ、学生を装っていたかの人物は
大いに学園都市アカデミアを混乱の渦に巻き込んだ。
あれは4年前のこと。
ジャン・ダスプリと名乗る異能学生による
《53人委員会》事件──
この自分とウィルヘルム・ライヒは
あの事件あればこそ、先代統治会からの
権力の継承に成功したのだから。
さまざまなことがあった。
そう、現在の学園都市と同じように。
[Nightingale] レディ。
ひとつ、確認を。
[Keziah] なあに?
[Nightingale] 先月の、黄金王が斃れた後の1週間。
あの時の『あれ』は、あなたでは……
ありませんよね?
[Keziah] まさか。
私は、子供たちを慈しむわ。
[Keziah] 守れはしないけれどね。
ああいうのは、趣味に反するの。
[Nightingale] ……失礼しました。
頭を下げる。
極東式に、恭しく。深く。
[Keziah] いいえ、いいのよ別に。
そう勘違いされてもおかしくはない。
[Keziah] 現に、いまだに
あの雷電の彼には睨まれっぱなし。
[Keziah] ま、それぐらいが良いのでしょう。
であればこそ黄金の魔にも打ち克てた。
[Keziah] 第3報道部風に言うなら、
《薔薇の瞳》──だったかしら。
[Nightingale] はい。黄金王は潰えました。
故に、彼は未だ、世界に在ってくれる。
[Keziah] 見事なものだったわ。
まさか、相打ち以外で斃してみせるなんて。
[Nightingale] ……はい。
マスター・テスラの果たした死闘。
そのさまを自分は“すべて”認識している。
どれほどの苦難だったか、
どれほどの偉業だったか。
数十年間で数多の黄金瞳を得た王を相手に。
あれを斃せたのが奇跡なら、
我が師テスラが死へと落ちなかったことは
奇跡、いいえ、それ以上の出来事だった。
彼が現在も世界に在ってくれることを、
彼女はすべてに感謝するしかない。
地上のあらゆるものに、
輝きに。暖かなもののすべてに。
[Keziah] あなたはよくやったわ。
他の子たちもね。
[Keziah] だから、誇りなさい。
あなたたちが在ればこそ、
ニコラ・テスラは黄金の魔を挫いた。
[Keziah] あなたたちの学園都市は勝ったのよ、
黄金王、ローゼンクロイツに。
黄金王、その名──
恐るべきもの、すべてを覆い尽くすもの。
青き空さえをも支配する黄金の魔。
世界の具現にも等しい支配の薔薇。
黄金王ローゼンクロイツ。
世界の影を統べる《結社》の総帥代行。
学園都市を密かに管理・利用していた
かの組織と黄金王たるローゼンクロイツは
マスターの手で学園都市から切り離された。
正確には、マスター・テスラと
数多くの学生たちの奮闘とによって。
ただ、そのことを知る者は多くない。
10万学生の殆どは《薔薇の瞳》事件が
何であったのかを理解できないだろう。
あの時、学園都市を
駆け抜けた少女が何をしたのかも。
知りはしない。
けれど、自分は知っている。
すべてを。
だからこそ、
絶対に守らねばならない。
かの組織と黄金王の魔手から
実に数十年の時を経て解き放たれ始めた、
この、若人のマルセイユ洋上学園都市を。
[Keziah] 外で《結社》がこれから何をするか、
気になるでしょうけれど。
今は、学園都市を見ていなさい。
[Keziah] 異状があれば伝えるわ。
魔女の目でね。
[Nightingale] ぜひ、お願いいたします。
私もディフ塔 (シャトー・ディフ) の監視を続けます。
[Keziah] そうなさい。
[Keziah] ──で、ここからが本題。
ダ・ヴィンチが死んだのはもうご存知?
[Nightingale] ……はい?
[Nightingale] ……《万能のひと (ウォモ・ウニヴェルサーレ)》が?
その名を知らないはずがない。
かの《十碩学》に連なる高名な大碩学は
学問を志す者にとっては崇拝の的とさえ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ。
万能のひと。並ぶものなき万能王。
遙か過去の人物であるにも関わらず
生存説が現実に囁かれるほどの碩学の偶像 (イコン)。
数多の発明を世に生み出した天才中の天才。
生存説は真実である、と
聞かされたのは何年前だったろう。
我が師 (マスター) のその言葉を
今も、ナイチンゲールは思い出せる。
いつの日か出会えることが
あるだろうか、とも、夢見て──
[Keziah] 先月にね。少なくとも、
《結社》はそう認識している。
[Keziah] かの《万能 (ウニヴェルサーレ)》なりしレオナルドは斃れ、
《大協会 (ファウンデーション)》はおよそ半数が討ち滅ぼされて。
[Nightingale] 待ってください。
合衆国の《大協会》が……?
[Keziah] あら、こちらのほうは知っていた?
これも先月のことよ。
[Nightingale] いえ、話に聞くかの組織は
合衆国の公的な国家組織であったはず。
それが……。
[Keziah] あそこの最大派閥はね、ずっと
《結社》との協調に反対していたそうよ。
そこが全滅。生存者なし。
[Keziah] それに、ほら。
雷電の彼が目をかけていた子。
[Keziah] 機械帯 (マシンベルト) 試作2号を持っていた、
あの子。あれも、先月に殺されたわ。
[Nightingale] マキナが……。
愕然と、呟く。
その名を自分が知らない訳がなかった。
過去にスミリヤの森で会ったことはない。
けれど、想いと師とを同じくする
教え子同士であることは違いない。
それが──
[Keziah] 兄弟機を破壊して、
その後に自らを破壊したわ。
[Nightingale] ……なぜ、一体誰の手によって。
[Keziah] 支配せしもの。
世界の体現者。
支配の薔薇。もしくは、黄金の魔。
[Keziah] クリスチャン・ローゼンクロイツ。
彼の手によるものよ。
[Nightingale] そんな──
あれは斃されたはず。
既に、世界の何処からも消え去って。
師の放った雷霆の一撃によって
確かに、あれは跡形もなく昇華されたはず。
それが、何故。
誰かを殺すことができるのか──
[Keziah] 彼の進める《結社》基幹計画第二段階。
障害の排除。成功していた、という訳ね。
[Keziah] 唯一の例外が、ここ。
マルセイユ洋上学園都市。
[Nightingale] けれど……。
もはや、学園都市には
かの支配の薔薇の気配はありません。
[Nightingale] 俄には……。
[Keziah] 信じられない、かしら?
[Nightingale] あなたのお話とは、いえ……。
[Nightingale] かの《万能のひと》が斃れるとも
私には思えません……。
[Keziah] 好きになさい。
少なくとも、学園都市は大丈夫だから。
ニコラ・テスラが在る限り。ね。
[Nightingale] …。
言葉が続かない。
ただ、唇を閉ざすことしか。
[Keziah] ごめんなさいね。
怖がらせたい訳では、ないのだけど。
[Keziah] でも、これも言っておかなくてはね。
視線。感じていて?
[Nightingale] ……はい。それは。
それには気付いている。
何かが、ずっと、こちらを見ていること。
学園都市を。
10万の学生たちを。
硬く、それでいて柔らかなものを感じる
異形なる何者かの気配。それは、確かに
数日前から気付いていた。
正確には、
4月26日月曜日から。
けれど──
[Keziah] ただ、じっと見ているだけで、
学園都市そのものに何をするでもない。
[Keziah] 正体は私にもわからない。
けれど、どうか、注意しておいて。
[Keziah] 黄金王そのものではないとしても、
計画に類するものである可能性はある。
勿論、そうではない可能性も。
[Nightingale] ……はい。
[Keziah] 私は所詮魔女だから、
あなたたちを守ってはあげられない。
[Keziah] 古式ゆかしく
凶兆を告げに来るので精一杯。
[Keziah] けれど、あなたは別。
あなたは本物の魔女ではないのだから。
魔女ではない──
言葉の意味、正確には汲み取れなかった。
この女性が本物の魔女であること自体は
師から聞かされていたものの。
故に、その言葉には応えずに
最も意識を埋める事柄について尋ねる。
ここで聞かされた言葉の数々、
それをあのひとが識しっているのかどうか。
[Nightingale] このこと、マスターは──
[Keziah] 知らないでしょうね。
そういう仕組みになってるようだから。
[Nightingale] マスターの認識さえねじ曲げる、
それは、ひとのわざでは……。
[Keziah] ええ。
ひと、ではない。
鋼のように硬く。
それでいて、水のように柔らかな視線。
ひとではない何か。
学園都市の外から、中のすべてを──
こうしている、今も──
ずっと──