都市中央東部──
都市中央東部、7番街路。
路地裏を幾つか曲がった箇所にて。
日課の散歩のはずだった。
けれど、白い彼は足を伸ばしていた。
普段よりも遠くへ。
普段の散歩では来ることのない、此処。
学生たちの姿さえ見ることのない場所。
[Tesla] …。
白い彼は、息を吐く。
僅かに電力不足を実感する吐息。
碩学摩天楼の路地裏で、
無人機関ビルの壁に背を預ける。
1本、紙巻きを取り出して──
ぱちんと指を鳴らすと、
唇にくわえた紙巻きに火が灯る。
ほどなくして、
紫煙一筋、吐き出して。
白い彼は──
ニコラ・テスラは視線を上に。
空は、狭い。
碩学摩天楼はその名の通り、摩天楼、
超高層建築が建ち並ぶ尖塔の群れだ。
その麓、ともなれば
空が狭くもなろうというもの。
空の殆どが見えなくもなるか。
否、どこでも同じだ。
この時代、真なる空を見ることはない。
前世紀。地上に満ちた蒸気機関群の
吐き出す灰色の排煙に空は覆われて、
真の色を失った。
どこでも同じだ。
見上げる先には暗がりがある。
狭くとも、広くとも、
そこには何の違いがあるものか。
[Tesla] ……貴方は、憶えておいでか。
在りし日の空を。
[Tesla] ベンジャミン・フランクリン。
我が、ふたりめの師よ。
呟きながら、彼は、
懐から一通の封筒を取り出す。
消印はふたつ。
先月のものと、今月のものだ。
差出人、ニコラ・テスラ。
宛先は、ベンジャミン・フランクリン。
どうやら受領拒否の後に
ご丁寧に返送して戴いたものと見える。
[Tesla] ……律儀な方だ。
変わらないな、貴方は。
指先に灯る僅かな雷電を用いて、
ペーパーナイフ以上の鋭利さで封筒を
切り裂いて。中の手紙を取り出す。
文面を見ずともわかる。
これは、先月に自分が書いたものだ。
現在の学園都市では《薔薇の瞳》として
漠然と知られる存在との相対を前にして、
彼が書き留めた言葉。
今にして思えば、
敗北を察しての未練とも言える。
だが、こうして、彼は未だ世界に在る。
薔薇なりし魔王の端末は斃れた。
[Tesla] それを察して返送した、
という訳ではないのでしょうね。
我が師。
呟いて。
紫煙、吐いて──
文面に目を通す──
『拝啓』
『空の灰色は未だ消えずとも、
我が師に於いては
ご健勝のことと存じます』
『私が貴方に書簡を送るのは
これで三度目となります。
覚えておいででしょうか』
『一度目は、雷の鳳 (サンダーバード) の呪い込められし
機械帯 (マシンベルト) のもたらす苦痛に我が覚悟と誓い』
『精神のことごとく打ち砕かれ、
助けを求めんとした時のこと』
『二度目は
貴方との決別を誓った時に』
『こうして三度目の書簡をお送りする
私の無様、どうか、
お許しいただきたく思います』
『苛烈なりし《雷電公》、
ベンジャミン・フランクリン閣下』
『貴方から引き継いだこの機械帯、
無事にお返しできそうにはありません』
『どうやら現在の私が居を構える
この学舎 (まなびや) の街に潜むのは、予想を上回る、
我が手に有り余る魔であるらしく』
『対して、私はといえば、
雷電たるこの身を維持することさえ
叶わぬ体たらく』
『情けない話です。
無限の正義を行うと貴方に誓い、
雷の鳳に誓い──』
『かの《女神》にさえ再度誓った、私が』
『……この上は』
『我が雷電のすべてを以て魔に対する所存。
つきましては、機械帯完全破壊の可能性、
大いに有り得るとお伝えするものです』
『フランクリン機械帯──』
『既に、まったき雷電の身とは言えない
貴方の命もまた、この帯に
繋ぎ止められているのは事実』
『完全破壊ともなれば
貴方も無事では済まないでしょう』
『不詳の弟子の未熟をお許し下さい。
そして、何よりも……』
『是までの我が雷電の足跡に対して、
一切の後悔なきことをお伝えします』
『貴方に導かれ
雷の鳳の雷電を受けた時も』
『《結社》に一度は我が身を寄せて、
かのものどもの技術により
機械帯の改造を果たした時にも』
『魔のものども、
大いなる邪悪に相対した日々にあっても』
『私は、後悔しなかった』
『……心残りがないと言えば、
それは、嘘になるのでしょう』
『ですが、それは
我が胸に秘めることであり、
貴方にも告げることではありません』
『以上。是にて失礼いたします。
嘆きの壁の隙間には、ご注意ください』
『──追伸』
『若者たちが、私を指して
雷電魔人と呼称していました』
『是は、私というよりは、
かつての貴方にこそ相応しい名で
あるかと思うのですが、如何でしょう』
『──1909年3月2日。
──ニコラ・テスラ』
[Tesla] ……後悔、か。
紫煙を吐いて、囁く。
誰に。自分にか。
それとも──
[Tesla] 随分と正直に書いてしまったものだ。
心残り、とは。
心残り。その言葉。
思い浮かべる横顔は、今はひとつ。
自らの輝きそのもの。
世界に在って最大の、尊い輝き。
黄金色の──
[Tesla] ……ネオン。
[Tesla] ……私は……。
空、見上げる。
見えることのないはずの空を。
師へ告げようとした言葉を、
手紙を、彼は握り締めていた。
乾いた音が響く。
空に想う師はふたり。
ひとりめの師、世界を守らんとした男。
ふたりめの師、雷電たるフランクリン。
そして──
空に想う輝きは、黄金色の瞳。
我が最愛と決めた少女。
[Tesla] …。
息を吐く。
紫煙だけが、ただ、空へと昇る。
永遠の、灰色をしたままの空へ。
ただ一条。
ただ昇る。
紫煙、音もなく──